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Ganbold Buyannemekh 氏 インタビュー

プロフィール:
1957年10月1日生まれ。6歳の頃からサッカーを始める。驚異的なスピードを誇る決定力抜群の名ストライカーであり、モンゴル代表の中心選手として活躍した。大学時代には、旧ソビエト連邦(現ロシア)のモスクワに留学。同国一の名門クラブであるディナモ・モスクワのリザーブチームに所属し、ハイレベルな環境で技術を磨いた。現役引退を決意した97年から今日までモンゴルサッカー協会ゼネラルセクレタリーを務めている。東サッカー連盟理事会にも名を連ねる。

--97年から始まった改革--
モンゴルサッカーは劣悪な環境に悩まされてきた経緯があります。

サッカーは50年代にロシアから伝わりましたが、当時の閉鎖的な社会主義体制がマイナスに働きました。59年に創設されたモンゴルサッカー協会(MFF)は国営であり、AFC(アジアサッカー連盟)及びFIFA(国際サッカー連盟)へは未加盟でした。国内の大会はただ試合を消化しただけであり、強化や普及といった概念は存在しませんでした。それだけに実質的なスタートは民営化された97年といっても過言ではありません。

MFFは2つの目標を掲げました。1つ目はAFC及びFIFAへの加盟。早速、翌年の98年に達成しました。2つ目は、施設の充実です。モンゴルには芝のグランドはなく、選手はボコボコの土の上での試合を余儀なくされました。国内で絶大な人気を誇るのは、相撲、競馬、アーチェリーといった伝統的なスポーツです。サッカーへの関心が低く、経済的に厳しい国情のため政府や企業からの支援はありませんでした。

--人工芝のグランドがサッカー人気の起爆剤--
困り果てていたところ、FIFAが手を差し伸べてくれました。発展途上国を支援する「Goal Project」の対象になり、首都ウランバートルに素晴らしい人工芝のグランド「Football Center」を建設してくれました。なぜ天然芝ではないのかと思われるでしょうが、長い冬に見舞われるモンゴルでは無理なのです。

2002年に完成して以来、学校や企業からプレーしたいとの問い合わせでMFFの事務所の電話はパンク状態です。緑一面のグランドでのプレーはモンゴル人にとって大きなステータスとなりました。おかげさまでサッカー人気も右肩上がりに上昇し、2006年FIFAワールドカップTMはモンゴル史上初の生中継が行なわれ、深夜や早朝にもかかわらず多くの人々が世界最高峰の技に酔いしれました。

「Football Center」建設に尽力して頂いたDato' Paul Mony Samuel(AFC Deputy General Secretary)、Mohamed bin Hammam(AFC会長)、Joseph S. Blatter(FIFA 会長)の3氏には感謝の気持ちで一杯です。

--現状には満足せずさらなる上へ--
この10年間で大きな成長を遂げました。念願の夢であった人工芝のグランドで公式戦を行えるようになりましたし、ユース育成に関しては各カテゴリーの大会を創設しました。

 

まだまだやるべきことはたくさん残っています。2つ目、3つ目の人工芝の建設や指導者や選手の量と質ともに増加させ、ウランバートルだけではなく、各地域の普及にも力を入れたい。


私は、JFA2005年宣言を発表した川淵三郎キャプテンを尊敬しています。特に現状に満足せずに上を目指す姿勢に共感しています。でも、モンゴルにとってワールドカップ優勝は厳しいですね(笑)。モンゴル宣言は東アジアで6位、アジア全体で25位から30位の間のレベルにまで押し上げること。我国の現状を考えれば、非常に大きなチャレンジです。3年前には-20度を超える極寒の中、ワールドカップ予選のモルジブ戦を開催しました。不可能なことはなにひとつありません。

変革のときを迎えたモンゴル、フィジカルから考えるサッカーへ

9月24日から30日まで首都ウランバートルで、モンゴルユース選手権「PEACE CUP」が開催された。U-12(8歳から12歳)、U-15(13歳から15歳)、U-18(16歳から18歳)の3つのカテゴリーに分かれ、それぞれDarkhan Province 2, Darkhan Province, Kharaatsaiが優勝を飾った。

「今大会を見て、モンゴルサッカーは大きな成長を遂げていると確信しました」とはSharkhuu Chultem氏。58年に結成された初代モンゴル代表メンバーの1人であり、現在はU-18の部で3位に輝いたSchool No5で指揮を執っている指導の第一人者である。

「これまではフィジカル一辺倒のサッカーが主流でしたが、状況に応じて自分で考えてプレーできるようになった。EAFF主催のフェスティバルやAFC主催のユース選手権やなど様々な国際大会に参加することによって、選手たちがハイレベルな戦術や技術に触れたことは大きな刺激となっています。夏の3ヶ月のみがサッカーシーズンでしたが、今では大雪の積もる冬でさえも体育館でフットサルが行えるようになるなど環境が整いました。MFF及びサッカーに関わる全ての人々の努力の結晶であり、喜びを隠せません」

しかし、課題は残っているとSharkhuu氏は指摘する。

「社会主義時代が終焉を迎え、生活レベルは向上した反面、子供たちにはハングリー精神や規律といったサッカーに重要な要素が失ったような気がします。また、ゴールを決めて目立ちたいという自分勝手なプレーが多くなりました。私の現役時代は、ロシア人監督の下、チームプレーを徹底して植え付けられました。子供たちの能力が上がった今こそ原点に戻り、チームプレーの重要性というものを再考しなければいけません」

U-15の部で3位に輝いたBaganuurの弱冠20歳の新進気鋭の指導者、Battolga氏も同様の意見を口にする。


「確かにモンゴルはドリブルが多いと感じます。パスをすればいい場面でパスをしないですね」 日本留学中には国際開洋第一高校サッカー部に所属していただけに、より強く感じるのだろう。


だが、「悲観する必要は全くないです」と付け加える。


「日本では元Jリーガーによる質の高い指導を受けてチームが飛躍的にアップしていったことを体感しました。選手も指導者も今後とも一生懸命練習に励んでいけば、必ず良い方向に進むでしょう」 


早くも前兆はピッチ上に現れていた。「フィジカルに秀でているのがモンゴルサッカーの特徴」とのSharkhuu氏の言葉通り、全力を尽くした激しい試合が繰り広げられた。ゴールを決めれば喜びを爆発させ、決められれば気落ちすることなく必ず取り返そうと攻撃的姿勢を前面に出した。技術や戦術以上に重要な気持ちがそこにはあった。


U-18の試合が行われたMilitary Universityには連日、Ishdorj Otogonbayar代表監督の姿が見かけられた。「現時点ではA代表メンバーは皆無ですが、私は長期的な視野に立ってチームを作っています。ユース代表選手のチェック及び新たなタレントの発見をできた非常に有益な大会だった」と笑顔を見せながら語る。


モンゴル代表の最大の目標は、次回の東アジア選手権予選。指揮官は、前大会予選でチャイニーズタイペイとドローに持ち込んだ良い流れを継続したいと考えている。今回の「PEACE CUP」の参加選手が、A代表に招集されることだって当然ありうる。また、FIFAによる発展途上国支援の「Goal Project」で建設された人工芝のグランド「Football Center」はスタンド、更衣室、会議室などを備えた近代的スタジアムへと生まれ変わるべく現在建設中であり、将来的には東アジア選手権予選もしくは本大会開催を考えているという。晴れの舞台で中核を担うユース育成こそ最重要事項とモンゴルサッカー界は一丸となっている。

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